こんにちは。初めましての人もそうでない人も、
今日は重い話になりますが、妊娠10週目で流産した最初の子の話をしようと思います。
他の記事でお伝えしている通り、幸いにも次の子を授かり、無事に出産させることができ、辛かった記憶も段々と薄れている状態です。
ただ完全に忘れるということはなくとも、ちゃんと記録として残しておこう、また同じような体験をされた方の力に少しでもなれればいいな、という思いで、こちらの記事を残します。
目次
妊娠発覚から流産までの経過
妊娠発覚とインフルエンザ
私が妊娠に気づいたのは、いつもと違う貧血症状からでした。
私は貧血というか極度の低血圧で、ひどい時は朝の通勤中に電車に乗ってるのが辛くなり、果てには通勤できなくなる時があります。
耳のあたりから、さぁっと血の気が引く音がして、ヤバいな、と思っている内に、立てなくなってしまうのです。ひどいとそのまま目の前が真っ暗になって、何も見えなくなります。
そんな症状に慣れたもので、ヤバいな、と感じた時点でホームに降りて、自販機と座れる場所を探して水分補給しつつ休みます。
さてそんな私ですが、ある時、朝ではなく、夕方の帰り道で、耳のあたりから血の気が引く感覚を覚えました。
あれ?おかしいな?
と思いました。
低血圧が原因で起きる症状なので、基本的に出るとしても朝しかなかったのです。
それが夕方に症状が出た。
……ひょっとして、妊娠した?
早合点かもしれないと思いつつ、妊娠検査薬を購入して、自宅で試してみると……陽性でした。
喜び勇んで帰宅した旦那に報告しました。
しかしながら……翌日、熱を出してしまいます。
熱を出した時点で医者に行き、風邪と診断されるのですが……さらにその翌日になっても熱が下がらず、もう一度受診すると、インフルエンザとの診断が。
この時点では検査薬の反応だけで、まだ婦人科を受診していませんでした。
正直に医者にそう話したところ、一度産婦人科を受診するよう勧められ、薬は出せるけどどうしますか?と聞かれ、婦人科を受診するならその時に出してもらうからいいです、と断ってしまいました。
……これが誤りでした。
産婦人科にしてみたら……インフルエンザの患者なんて来てほしくないんですよ。
他の妊婦さんにうつしたら大変なことになりますから。
予約のため、最寄りの産婦人科に電話したところ、内科医がいないというのと上記の理由で断られてしまうんですね。
しかしこちらとしては、妊娠してるなら解熱剤だけはもらわなければ、と必死です。
(この時にネットで色々検索した結果、インフルエンザの菌自体はお腹の子に影響しませんが、高熱が悪影響を及ぼすことがある、とのことでした。)
最寄りでなくとも隣の駅とかでも、診察してくれそうなお医者さんを探しました。
産婦人科と内科と、両方対応できるお医者さんがいないか探し……いました。
藁をもすがる思いで電話したところ……他の患者さんにうつすと困るから、午前中の診察時間が終わってからならいいですよ、〇〇時に来てくださいね、とお返事いただけました!
休みを取ってくれた旦那に車で送られ、無事に受診。
胎嚢ができているのを確認できました!
そしてインフルエンザの薬も処方していただき、無事に熱も下がりました。
熱が下がって3日以上経過してからあらためて受診すると、無事に心拍を確認することができ、インフルエンザを乗り越えて成長してくれていてほっとしました。
稽留流産(けいりゅうりゅうざん)の発覚と流れるまで
心拍確認の後、次の診察を4週間後に控えたある日、茶色いオリモノが3日ほど続きました。
特に痛み等はなかったのですが、心配になり、土曜になってから病院に行ったところ……心拍が確認できない、と言われました。
ショックでした。
何か薬を処方されたので、薬局に寄り、薬局を出てから車で待っていた旦那に泣きながら報告したのを覚えています。
この時の記録を母子手帳に残していたので、引用します。
土曜日、茶色いオリモノが続いていたので病院に行ったところ、心音が聞こえないと言われる。
月曜、出血量が増え、腹痛で休んでいたところ、14:30頃に大量に水が出るような感覚があり、半ばパニックになりながらトイレへ。
先生にTELした直後、流れ出る。
病院に行き、検査の為に渡し、処分もお願いする。
妊娠9~10週目、最後にエコーにうつっていたのは10.98mm、(稽留流産が発覚した)土曜から(実際に流産した)月曜の夜にかけ、涙が止まらなかった。
火曜から水曜に休みを取り、木曜から仕事に復帰する。
次は健康な赤ちゃんを抱けるといい。
処分、という言い方に、冷たいと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
流れた時、多い日の夜用の生理用ナプキンをつけており、そこに赤ちゃんと胎盤が出てきました。
その時私は……気持ち悪い、と思ってしまいました。
そして思ったのは……もうそれはただの物質で、お腹に確かにいたはずの赤ちゃんは、もうそこにはいないのだということでした。
10週目とはいえ、遺体は遺体だと思います。
ただ私には、どうしても生きていたはずの赤ちゃんではなく、それ自体は物質だとしか思えませんでした。
最後に
亡くなった子への思い
ちゃんとした人であれば、水子供養をするのかもしれません。
うちは、出かけた折に、水子供養のお地蔵様があるのを見つけたので、その場で祈っただけでした。
その時に願ったのは……次はちゃんと元気に健康で産まれることのできるお母さんのところに宿ってね、ということ。
ネットで流産の経験を読むと、よく、また戻ってきてね、戻ってきてくれてありがとう、という表現を見かけます。
それが悪いというわけではないのですが……私にはどうしても違和感がありました。
もしかしたら、産まれてきてくれた我が子は、あの時流れた赤ちゃんなのかもしれません。
ただそうだとしても、産まれてきた子は、その時の記憶なんてないでしょう。
なのに、戻ってきてくれてありがとう、と言われたら……まるで自分じゃない別の子を見ているような感覚を覚えるのではないか。
そんな風に思ってしまうのです。
だから私は、来世での幸せを願いつつ、また戻ってきてくれたら嬉しいけれど、そうじゃなくとも、元気で健康に幸せな生を送ることのできるお母さんのところに宿ってね、そう祈りました。
第一子を産んでから思うこと
次にまた授かった時、10週目を越えるまでは気が気ではありませんでした。
ただ10週目を越えてからも、少しの腹痛や出血で、また流れるのではないか、安定期を迎えるまで不安で仕方がありませんでした。
最初の子が流れた時、本当にほとんど自覚症状がなく、間に合うはずだったのに気づけないことになるのではないか、ととにかく不安でした。
安定期を迎えてだいぶ落ち着きましたが……それでも流産の可能性はないわけではなく、不安はつきません。
そして産まれてから1ヵ月、今度は乳幼児突然死症候群になるのではないかと、寝ている時にちゃんと呼吸しているよね、と不安になり。
……そして最近は、多少泣いてても死ぬわけじゃない、と思えるようになりました(笑)。
幸いにも今のところは元気で健康に育ってくれていますが、この先また何度も些細なことで不安に襲われるのだろうなぁ、と思います。
でも五体満足で生きてさえいてくれれば、どんな子に育つのだろう、大きくなったらあれしようあそこ行こう、そういった希望が不安を上回るのだなぁ、とも実感します。
亡くなってしまった子のことは、この先も一生忘れないでしょう。
ただきっとあの子も、今頃はきっと幸せな次の生を授かっているのだろうと、そう信じようと思います。
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素材取得元
- トップイメージ : 流産間際の超音波写真を撮影したものです。